『悪の教典』
こういった作品はいかに、悪役の存在が魅力的であるかにすべてがかかっているといっても過言ではない。魅力的でないにしろ、印象的である必要がある。

そして、もはやこういった猟奇殺人鬼の系譜にはレクター博士というレジェンドが存在してしまうため、ちょっとやそっとのことじゃあ読者ないし観客を満足させることは適わない。

博士の設定はかなり綿密なものであり、ボディソープに至るまで設定やエピソードが挿入されるほどだ。ちなみに、サンタ・マリア・ノヴェッラがお好み。素晴らしいセンスである。もしかしたら、伊勢丹にもきたことがあるのかもしれない。

それでも・・・って思ってみてみたけれど、比肩するほどというよりはそれこそ比べるのもかわいそうな具合であった。そして、比較なしにしても人物描写の書き込みが浅いのが目立つ。

何よりもまずいのが、共感性の欠如というような設定である。
これは本来、明文化せずに、その行動なりなんなりで象られていくほうが望ましいように感じる。そのほうが、この人物の次の行動などを予測しようとして裏切られるといった楽しみ方ができたはず。しかし、本作では彼の行動の端々から、設定を覆しているかのようなものが散見される。ブレブレだ。

また、かように天才であるはずの人間が、物事の解決としてすぐに殺人という手段を選ぶことも疑問である。それも自分の手によるものであり、他人を操り、衝突させて、自らの手を汚さずにというものでもない。

この辺までは、原作もあるしある程度それにならわざるを得ないので仕方ないかもしれない。

しかし、映画は原作を数段階にわたり改悪する。

ハスミンの目的である、“理想の王国”。その描写がないため、ただ気に入らぬ人物を殺害しているようにしか思えず、芝原と変わらぬバカに見えてしまう。

原作とは異なり、視点を生徒にしたりハスミンにしたりと変えるのが早すぎる。そのため、各人物にあてられる時間が短く、感情移入するほどに至らない。映画は尺が短いから、いっそハスミンの側だけ描くとか思い切ればよかったのにと思う。

また、あまり説明もなしに過去の映像が突然挿入される。しかも、かなり毛色が違う映像であり、かつこれまた短いものなので映画だけみたひとにはわかりにくい気がする。そして、文字ないし、誰かの口から語られるだけでよかった気がする。

ここまで書いてつかれた。

がんばってイイ点を上げたいのだが、伊藤英明の役作りくらいしか・・・・。もう、ルー大柴にしかみえない。そして、俺がしってる伊藤さんはもっとシュっとした顔立ちだったはずなのだが、目がちっちゃくてやぼったい雰囲気になっていた。こんな顔だったっけ?老けたのかね。肉体作りは素直にすごいなと。ほんとにそのくらいしかよい点が見つからぬ作品だった・・・・原作もよくはないが、もっと疾走感はあったし、ある種のカタルシスを感じさせる構成だったのに。

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