これまで4500本ほどの作品を見てきているのだが、ここまで言葉に詰まる作品はなかったように思う。

こんなにも重苦しく、ギリシャ悲劇のようであるとは。
原作が舞台劇であることの名残か、映画は物語の重要人物たちそれぞれに順々に焦点をあて、章仕立てで細やかに展開していく。

しかし、基本的には、“兄”を探す弟の旅、“父”を探す姉の旅と“救済”を探す母の旅である。これら3本の筋が次第に交わっていく様を描く。

本作においては、次々と明かされていく真実が別の真実と結びついていく様、あるいはパズルのピースをはめていく展開にいわゆるサスペンスのもののようなドキドキはない。
しかし、代わりに喉元に突きつけられた刃物が徐々に押し付けられていくような、焦燥感とヒリヒリと焼け付くような、そして忘れられぬ痛みを感じさせる。

戦禍により、純粋な愛を求めることを赦されず、救済を求める者の物語。

“1+1=”の数式に現れるように、彼女の信じた神は異教徒のそれと同じだった。そして、その罪の贖いと信じ行動した先で対峙することになったのは自身の過去の過ち。なんたる負の円環か。

悪魔の数式に気付いてしまった、母が感じた重荷を考えると胸が詰まる。逃れることのできない憎しみや報復の連鎖、“炎”が再び自身の中で燃え始めてしまう、否、その存在に気付いてしまう。

そして、彼女は子供たちもを焼き尽くすことを知りながらも、自分の過ちを伝え、負の円環を壊すことである種の救済を得る。自身の中にもそのくすぶる火を感じながら、彼らは明日を模索するのであろう。しかし、その道は決して楽なものではない。それは今尚、かの地で同じような悲劇が繰り返されているかもしれないという暗示かのようだ。

※『灼熱の魂』の原題は“incendies”。これはフランス語(男性名詞)で“炎”あるいは“戦火”を意味する。映画の最初と最後がプールなのも興味深い。

※本作はあえて舞台を明らかにしていない。物語の幾分かの普遍性を出すためであろう。宗教の対立でおのずとぼんやりならわかるのだが。

※“裏切り”とはすなわち、彼女の最初の罪ともいうべきもの。皮肉な形でその約束を果たすことになってしまった彼女の人生の苛酷さたるや、である。

※この作品は、ともすると長ったらしくやや冗長だ。しかし、それは逆に本作の破壊的で非常にエモーショナルな物語を強調し、持ち味に変える役目を担っている。主人公たちが旅を進めていくにつれ、疲弊していく様を、その心労を我々も疑似体験することになるのだ。監督はかなり重厚な演出をする方なので、故意にこのような演出にしたのであろう。欲をいえば音楽なども極力排してほしかった。

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