結構前のサスペンスなのだが、わりかし気にっている作品なので久しぶりに
鑑賞。

この映画は、IMDBなどで評価を観ていただくとわかるけど、批評家からはあまりウケもよくなかったし、事実映画の作り的にはあまり特徴も良さも感じない。
しかし、その物語とキャストの演技がよく、それだけで成立している稀有な作品だ。

『ライアー』と似ていて、事件の全容は客観的に明かされることなく、ベテランの警察署長と町の名士/弁護士との対話からそれを予想することとなる。

今つくればフラッシュバック満載の作品となって、スタイリッシュに仕上がるのだろうが、この時代にはそういう演出は少なく、本作もまた非常に単調で地味な演出でできている。しかしそれが幸いしてか、役者陣の真に迫る演技が堪能できるのだから完全に悪かったともいえまい。

さて、本題なのだが、この作品で調べると本当の犯人は誰か?という疑問について議論しているものを多くみかけるのだが、それは作品の本質ではないであろう。

結局論理的に考えれば、真犯人を特定しうる確定的な証拠は提示されないし、あまりに描写も少ない。極端にいえば、誰でもよかったのだろう。ただ、観客を物語りに釘付けにするうえで疑わしき人々としてみんなを描く必要があったわけで。そして、その実なにが中核にあるかというと、ハックマンとベルッチの夫婦愛なわけだ。さらにいえば、愛とは何かというものを突きつけてくるものだ。

お互いがお互いにきちんと向き合わなかったばかりに、互いの小さな疑念はいつしか雪だるまのように膨れあがってしまう。そして、愛と憎しみは表裏一体。深ければ深いほどに、その反動で憎しみも大きくなってしまう。しかし、完全に愛が潰えてしまったのであればふたりはあのようにはならなかった、いやなれなかったに違いない。
それがあのセリフのないラストシークエンスによく現れていて素晴らしい。
ラストのシークエンスは作品中でも異色のシーンで、会話劇なので作中ずっとベラベラみんなしゃべっているのとは対比的に、ハックマンとベルッチ共にセリフがなく、別々に何かを思っているシーンのあとに目線を交わし、離れたベンチに座る。言葉なくとも何かが伝わっている。

ラストの解釈に幅がある作品は、駄作になる可能性がl極めて高いと思っている。
しかし、本作はそのぼやかし方が心理テストの如く自身の愛についての考え方に依存するものでなかなかおもしろいように感じた。でも、だからこそこの映画はカップルなどでは観てはいけないと思う。ひとたび火がつけば、このふたりのように互いの闇をみて、多くの場合破局を導く気がしているからだ。

※原作未読なので完全な憶測だが、原作は恐らくもっと後味の悪いエンディングなのであろう。タイトルは“brainwashed”であるし、ラストの1シークエンスさえなければハックマンが文字通り洗脳された?とも思えるエンディングである。そこは監督がオリジナリティをつけたかったのか、あのエンエィングの挿入となったわけであろう。監督の経歴や作品をみるに、実は単純にハッピーエンドにしたかっただけなのかもしれないけど。

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