黒いロボコップ/リメイク版『ロボコップ』
2014年2月24日 映画海外版の横行にも関わらず、ブラジル国内では劇場で2500万人もの人々が鑑賞したとされるジョゼ・パジーリャ監督による『エリート・スクワッド』。
そんなパジーリャ監督が往年のB級SF『ロボコップ』をリメイクした。
原作では、ロボコップとなったあとに自身の記憶を取り戻し、また自身をかような姿に変える原因を作り出した人物を思い出す。しかし、本作では、記憶は失われない。抑制されている描写はあるが。
しかし、ストーリーラインが変われど、原作の最重要な点である、医学的に死んでいても、自身の意思に関わらず半ば強制的に生前の記憶を保ちつつ生かされ、変わってしま
った自身と葛藤するという重要な点は継承されている。
一方、大きく変わった部分も勿論ある。原作はその激しすぎる人体破壊描写などでR指定だったが、本作はレーティングはPGすらついていない。なので、原作初見のとき衝撃を受けたあの破壊描写はない。恐らくここが一番賛否両論なのではないかと思う。
しかし、ここはバーホーベン監督の持ち味ともいうべき、独特な社会風刺の作風だ。これを再現してしまえば、出来不出来に関わらず否定に傾いてしまったはずだ。(原作でも光った、CMやニュースなど散見されるブラックユーモアを内包した演出は、サミュエルが見事体現し、原作へのリスペクトも見られる)
代わりに本作で光るのは、アクションシーンの演出の巧みさだ。ロボコップのセリフの少なさを、アクションで補い、その変容を映し出す。
ロボコップが感情を失う様子は、TVゲーム画面のようなアクションで示した。POVの視点。セリフの排斥。アクションシーンにこれみよがしなストップやスローモーションをかけず、淡々と正義を行う様は、正に機械と化してしまったマーフィの様子を見事に描出した。
そう、原作とは真逆にほとんど流血もなく、残酷描写なしに機械化したマーフィの内面を表現したところが面白い。
そして、人として再び息づいたマーフィの弱さを二足歩行ロボットとの戦いで表現している。
巧みなアクション演出でマーフィの心境の変化を表現して見せたパジーリャ監督の演出は見事であった。近年のアクションでこれほど必要に駆られた演出もなかったのではないか。それほど説明的といえるアクションであった。
しかし、悲しいかな。近年のアクション作品に比べてしまうと、そのハデさが足りないと感じてしまうのもまた確か。これは単純に視覚的情報が多いド派手なモノになれてしまったせいであろうが、やはりどこか物足りなかった。
原作よりも家族のドラマに重きを置いていたのも本作の特徴だが、ここは割合あっさりとしていた。下手に書き込むと、テンポをそぎ落としてしまうからであろう。最小限のやり取りであり、矢継ぎ早であるのでやや感情移入しにくいかもしれない。
上記のような不足もあったのはたしかなのだが、パジーリャ監督は見事に独自の路線でロボコップを創れていたように思う。
安心してみることの出来る古き善きアクションの良作というところか。かくいう私も旧作には思いいれがあるので、贔屓目にみてしまうのだが、黒いロボコップ含め、これはこれでよかったと思う。
必見とはいわないが、昨今のただごっちゃごっちゃしたアクションを続ける作品は食傷気味という人は是非みてほしい。
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